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湘南の先輩インタビュー
「湘南の先輩インタビュー」とは?
「湘南の先輩インタビュー」は、湘南に住む60代以上の先輩世代の方々にお話を伺うコーナーです。
現在の湘南の街並みや文化を作り育んできた、素敵な大人たちがたくさんいる世代。
そんな先輩方に家造りの知恵や工夫、湘南暮らしのアドバイスをもらわないのはもったいない!
皆さまに成り代わって、素敵な湘南ライフを送る魅力的な先輩方にどんどんインタビューしていきたいと思います。
第四回は、鎌倉市・長谷在住の、松澤和通さん、松澤博子さん夫妻にお話を伺いました。
先輩のプロフィール
松澤和通さん
鎌倉市出身。70代。
明治時代から続く、鎌倉・長谷の書店「松沢松林堂」四代目店主。
平成29年に長い歴史に幕をおろし、現在は鎌倉の遺跡発掘の仕事を楽しんでいる。
高校時代に東京オリンピックの聖火ランナーを努め、鎌倉で初期にサーフィンを始めたメンバーのうちの一人でもある。
松澤博子さん
鎌倉市出身。60代。
和通さんと共に「松沢松林堂」を長年に渡って切り盛り。
本を読むことが好きで、店番中も読書をかかさなかったと笑う。
夫婦で楽しむ海外旅行と、昨年産まれたお孫さんの成長がこれからの楽しみ。
今回の先輩について
松澤さん夫妻は、鎌倉・長谷で明治時代から続く「松沢松林堂書店」を、平成29年で店をたたむ決断をするまで、ご夫婦で営まれてきました。
和通さんは、高校時代にはオリンピックの聖火ランナーの大役を任されたり、鎌倉で初期にサーフィンをしたメンバーのうちの一人であったりと、鎌倉を語って頂くにふさわしいキーパーソンです。
今回は「松沢松林堂」のことや、東京オリンピックのこと、そしてサーフィンのことなどを余すことなく語って頂きました。
インタビュー
— いつもは湘南に住み始めたきっかけから聞き始めるのですが…
和通さん
そうね、僕は湘南というよりは、鎌倉という方がしっくり来るんだよね。
湘南って、昔は大磯とか西湘方面のことを呼んでたと思うんだけど、最近は葉山の方からずっと湘南って呼ぶでしょ。
— たしかに、どこからどこまでが湘南なのか、よくわからないですよね。
和通さん
そうそう。いや、別にいいんだけどね、湘南ってにぎやかなイメージがあるでしょ。僕はどちらかというと鎌倉の静かなところが好きだから、なんとなく違和感があるのかな。鎌倉に住み始めた時期でいうなら、うちは代々本屋だから、生まれたときから鎌倉だね。
博子さん
私も実家がすぐ近くなの。長谷にずっと住んでいるわね。
— 奥様も鎌倉・長谷がご出身なんですね。
博子さん
そう、でも主人とは年が6つくらい離れているから、学校とかは一緒じゃなくて、本屋のお兄さんという感じだったかな。でも、大人になって、付き合いたいって申し出があってから、あれよあれよのうちに結婚してたんだけどね(笑)
— 素敵ですね。誰から見ても、とてもお似合いのご夫婦なので、きっと運命的なものがあったのだと思います。
その後「松沢松林堂書店」を二人三脚で歩まれてきたんですね。
長年にわたり鎌倉の人々に親しまれてきた「松沢松林堂書店」について、ぜひお聞かせください。
和通さん
そうね、本屋としての松林堂は僕で4代目なんだよね。
曽祖父と曾祖母が明治時代から本屋をやっていて、戦争が終わって、親父がやって、その後兄貴がやって、その後が僕。
— なんと明治時代から本屋さんなんですね。江戸時代以前は何をされていたんですか?
和通さん
うーん、その前がわかんないんだよ。
でも、たぶん、江戸時代もこの土地で雑貨屋みたいなのをやっていたんじゃないかな。
とにかく長谷って、鎌倉近辺では一番栄えてたみたいだから、商売が成り立ったと思うんだよね。
— たしかに長谷には大仏のある高徳院や長谷寺があり、観光のメッカではありますが、商売においても中心的役割を果たしていたんですね。
お二人が子どもの頃の長谷はどんな感じだったんでしょうか。
和通さん
小さいころは、長谷寺や大仏のある高徳院の池とかで、おもちゃのぽんぽん船(蒸気で走るおもちゃの船)を浮かべて遊んだりしたな。
鎌倉文学館は進駐軍に接収されてて入れなかったんだよね。今考えると、まだ鎌倉にも戦争の影響が残っていたね。
— 寺社で遊ぶというのは鎌倉ならではかもしれませんね。鎌倉と戦争が結びつきづらいのですが、やはり当時は鎌倉でも影響が残っていたのですね。
和通さん
鎌倉文学館は元々、金沢の前田侯爵の持ち物だったみたいね。戦後、しばらくして返還された後は、佐藤栄作元首相の別荘になったり、紆余曲折を経て、鎌倉に寄贈されたんだよね。
— なるほど。そういう経緯があったのですね。知らない話ばかりで、非常に勉強になります。
その後、青春時代はどのような過ごし方をされていたんですか?
博子さん
夫はさんざんサーフィンしてたわよね。
和通さん
そうだね。最初はサーフボードがなかったから、米兵が持っているサーフボードを真似して自分で作ったんだよね。
木とベニヤでボードを作って、スケッグってわかるかな、ボードの裏につける舵のようなものなんだけど。それは鉄工所で鉄を切ってもらって、ボルトで取り付けたの。
それで海に行ったんだけど、鉄が重すぎて沈むんだよね(笑)
すぐに壊れちゃったな。
そのあと、初めて借金してサーフボード買ったんだよね、初任給2万の時代に3万のボード。嬉しかったなあ。
— 和通さんが学生のころということは1960年代でしょうか。その頃の鎌倉には、まだまだサーファーは多くないですよね。
和通さん
そうだね、最初はほんとに数人しかいなかったかな。その頃一緒にやってたメンバーはサーフボードメーカーを作ったり、工場を作ったりしてるよ。
最初はなかなか職業にはならなかったんだけど、大したもんだよね。
— サーフィンを楽しみながら仕事にしていったご友人たち、素晴らしいですね。サーフィンを事業として成り立つようにするのは並大抵のことではなかったと思います。まさに鎌倉のサーフィン文化の1ページ目に立ち会っていた訳ですね。
そして、事前情報としても伺ったのですが、オリンピックの聖火ランナーをされたこともあるんですよね。
和通さん
そうそう。鎌倉学園に通ってたんだけど、陸上部が2人しかいなかったの。
でも、3人必要らしくて。それで、バスケ部だった僕にも声がかかったんだよね。
— 松沢松林堂の前を疾走するこの写真、格好良いですね。鎌倉の皆さんが体感した東京オリンピックの熱が伝わってきます。
ぜひ、この頃の松林堂の話も聞かせて頂ければと思います。
博子さん
松林堂は、今よりももっともっと広かったのよね。裏のアパートの部分までお店だったから。住み込みの従業員さんもいたし、夏の間は某お菓子メーカーの社員さんたちの宿舎だったこともあるのよ。
和通さん
その頃は、大手のお菓子メーカーが、由比ヶ浜で海の家をやっていてね、スタッフの方々が、夏場はうちに泊まってたんだよね。いくつかそういう企業があったから、この通りの店は、夏は宿として貸して利益を得ているところが結構多かったんじゃないかな。
— そうなんですね。初めて聞くお話です。もしかすると今でいう民泊に近いのかもしれませんね。さぞ賑やかだったでしょうね。
和通さん
そうなんだよね。いつも使っている場所も貸しちゃっているから、寝場所もない感じだったよね(笑)
その頃は、夜も海の家がやっていて、ちょっとした縁日みたいになっていたんだよね。金魚すくいとかできたりね。それは賑やかだったよ。
— その頃の海の様子や、松林堂の雰囲気も見てみたいなと思います。
その後、松林堂を継がれたのは、いつ頃だったんですか?
和通さん
大学を卒業して数ヶ月は都内の会社で働いたんだよね。
その後、呼び戻されて、すぐに跡をついだから、22歳とかそのぐらいかな。
— そんなに早くに跡をつがれたんですね。
本屋さんというと、本を売り場に並べて販売するということは想像できるのですが、実際にはどういったお仕事をされていたんですか?
和通さん
もちろん、店番も仕事なんだけど、うちはどちらかというと配達が多かったかな。
病院とか美容院に雑誌等を定期的に運ぶんだよね。朝から晩まで配達してたなあ。
それと大きなところでは、教科書の販売だね。
すごい数の教科書がくるので、それを倉庫に保管しておいて、時期が来ると各学校に届けて回るんだよね。これはこれでかなりの重労働。
博子さん
そうそう、毎年、息子や息子の友だちにバイトしてもらったりして、毎年頑張って届けてたわよね。
— そうなんですね。配達がメインだというのは意外な気がしましたし、教科書の配達という業務は、きっとほとんどの方が知らないことかもしれません。
大変なお仕事だと思うんですが、きっとやりがいも大きいのだと思います。
特に本屋さんをやっていてよかったなと思うのは、どういう時だったでしょうか。
和通さん
やっぱり、人と会えることかな。話すことが好きだから、色んな人と話せるのが嬉しかったな。
博子さん
そうね、本屋に来る人って、真面目で豊かな教養のある人が多いのよね。そういう人たちと話して世界が広がったというのはあるかな。
— ところで、お二人はどんな本を読まれるんですか。
和通さん
僕は何が嫌いって、本を読むことが嫌いなんだよね(笑)
小説の類はほとんど読まないかな。
博子さん
私は何でも読むのよね。小説も好きでよく読みますよ。
— 本を読まない本屋さんというのも個性的です(笑)
読書が大好きな奥様とのバランスがとてもいいのかもしれませんね。
最後になりますが、お二人にとって鎌倉の良さってなんでしょうか。
和通さん
やっぱり海があって、静かなところかな。
博子さん
ちょっと小道を入ると静かな木陰があって、落ち着くの。
観光地として有名なところではなくて、ちょっとした路地とかが良いのよね。
— 鎌倉の良さは静かなところ。本当にその通りですね。
お二人とも、素敵なお話、本当にありがとうございました。
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